Pungluang sor singyu biography channel
プンルアン・ソー・シンユー
基本情報 | |
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本名 | Panya Utok |
通称 | Phuengluang Onesongchai Gym Machine Gun Kid |
階級 | バンタム級 |
身長 | cm |
リーチ | cm |
国籍 | タイ |
誕生日 | () 年4月16日(36歳) |
出身地 | ウタイターニー県 |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 57 |
勝ち | 52 |
KO勝ち | 35 |
敗け | 5 |
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プンルアン・ソー・シンユー(タイ語: ผึ้งหลวง ส.สิงห์อยู่, 英語: Pungluang Sor Singyu、年4月16日 - )は、タイの男子プロボクサー、元ムエタイ選手。ウタイターニー県出身。元WBO世界バンタム級王者(2期)。
来歴
[編集]両親はサトウキビとジャガイモの農家だったが、干ばつの影響でラーメン屋に転職する。12歳の時に家計を助けるためムエタイの試合に出場[1]、ムエタイで50戦程試合を経験してボクシングへ転向した[2]。 サーマート・パヤクァルンが憧れの存在[2]。
年9月27日、プロボクシングデビュー。
年7月27日、ブライアン・ビセラとWBCユース・世界バンタム級王座決定戦を行い初回TKO勝ち。WBC世界バンタム級ユース王座の獲得に成功した。
その後5度防衛するが、年5月9日、ベルギーに乗り込み、無敗のシュテファーヌ・ジャモエと無敗同士の対決を行い、打ちに行くも、ジャモエの技巧に裁かれの僅差判定負け。初黒星を喫し、6度目の防衛に失敗し王座から陥落した。
年10月31日、バンコクにて、フリオ・メエリンとWBOアジア太平洋バンタム級ユース王座を賭け対戦し、初回KO勝ちで王座獲得に成功。その後年齢制限で返上するまで6度防衛した。
年10月11日、ネイサン・ボルシオとWBOオリエンタルバンタム級暫定王座を賭け対戦し、2回TKO勝ちで王座獲得に成功。その後3度防衛した。
年10月20日、ホルヘ・アルセの王座返上に伴うWBO世界バンタム級王座決定戦でWBO世界同級1位のアレックス・ジョン・バナルと対戦。この試合はフィリピンメトロ・マニラの都市パサイのSMモール・オブ・アジア内にあるモール・オブ・アジア・アリーナで行われ、ノニト・ドネアも観戦に訪れていた。前評判はホームのバナル有利の評価だったが、試合は終始プンルアンペースで試合が進み、6回のローブローによる減点で完全にペースを握って9回にダウンを奪い、起き上がったバナルをダメージありと判断したレフェリーがストップ。9回1分45秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[3]。タイのプロボクサーではラタナチャイ・ソーウォラピン以来WBOの世界王者が誕生。ウィラポン・ナコンルアンプロモーション以来、7年振りのバンタム級世界王者が誕生した。
年3月2日、ナミビアの首都ウィントフックのウィントフック・カウンティー・クラブ・リゾートで、WBOインターナショナルバンタム級王者のWBO世界バンタム級1位パウルス・アムブンダと指名試合を行うも、12回(2者が、)の判定負けに喫し初防衛に失敗し王座からも陥落した。
年5月10日、ナコーンサワン県にて、再起戦としてフレディレックス・ロドリゲス(フィリピン)とWBOインターナショナルバンタム級王座決定戦を行い、2回KO勝ちで再起に成功した。
年7月12日、MGMグランド・ガーデン・アリーナがアメリカデビュー戦。当初は同年5月10日に予定されていた興行主の現地プロモーターの都合で延期となったWBO世界バンタム級王者亀田和毅との指名試合に臨み[4][5]、4回には右のカウンターで王者をぐらつかせるが、7回に左ボディでキャリア初ダウンを奪われ、苦痛で悶絶しているのを見たレフェリーがカウントを途中でストップ。7回1分35秒KO負けを喫し1年4ヵ月ぶりの王座返り咲きに失敗した[6]。
年8月7日、ラーチャブリー県のラーチャブリー・スタジアムにて亀田和毅の王座返上に伴い空位となったWBO世界バンタム級王座を赤穂亮(横浜光)と争う。2回にロープを背負ってクリンチの要領で体を入れ替えた際に右を2発入れ、ダウンした赤穂は立ち上がる事が出来ずに試合終了。2回KO勝利を収め2年5ヶ月振りの王座返り咲きに成功した[7]。なお判定では赤穂にリードを奪われていた。
年2月12日、ナコーンラーチャシーマー県でWBO世界バンタム級5位のヘトロ・パブスタンと対戦し7回終了時(3者共に)の負傷判定勝ちで初防衛に成功した[8]。当初はタパロスとの指名試合の予定だったが、WBOを交えた交渉でプンルアンに1試合挟むことで合意。指名試合を行うことを確約することを条件に選択試合を承認した。
年7月27日、アユタヤでWBO世界バンタム級1位のマーロン・タパレスと対戦。5回に2度ダウンを奪ってストップ寸前まで追い詰めるが、6回にダウンを奪い返されてペースを失い、11回37秒KO負けを喫し指名試合を制しての2度目の防衛に失敗し王座から陥落した[9]。
年12月15日、金沢市の石川県産業展示館でジェネシス・セルバニアと対戦し、7R負傷判定 (、×2)で敗れた[10]。
年4月18日、後楽園ホールで元日本S・ライト級王者の鈴木雅弘と対戦し、2回1分45秒KO負けを喫した[11]。
獲得タイトル
[編集]- WBC世界バンタム級ユース王座
- WBOアジア太平洋バンタム級ユース王座
- WBOオリエンタルバンタム級暫定王座
- WBO世界バンタム級王座(防衛0)
- WBOインターナショナルバンタム級王座
- WBOアジア太平洋バンタム級暫定王座
- WBOアジア太平洋バンタム級王座
- WBO世界バンタム級王座(防衛1)